グレーゾーン

今日仕事帰りに同じ電車に見た顔の人がいた。僕が土曜日古着屋さんにいたときに来店したお客さんだ。店で僕はその人が商品を購入する一部始終を見ていて、お会計の時に「とってもかっこいいですよ!」とその人に向かって言った。その人の買い物してる様子を見てとても楽しそうにお買い物してたのでかなり好感を持てた。電車に乗った時その人は座席で編み物をしていた。しかもそのお店で購入した帽子をかぶっている。話しかけようかどうか迷った。僕はかなり疲れていて話しかける気力もなかった。「もし乗り換えの駅が一緒ならば話しかけよう。」僕は蒲生四丁目で降りたがその人はまだ乗り続けたので話せずじまいだった。仕方ない、今日の体力も含め今の僕の実力なんだ。ただ、乗り始めの駅が同じなので今後もしかしたら…もう向こうは覚えてないか。

ブログを始めてブログのリンクをXやFacebookに紐づけているが、インスタグラムに紐づけようか迷っていた。インスタグラムのアカウントを同じブースで作業する同僚にフォローされているのだ。同僚にブログを読まれると面倒くさい。そして同僚はそういうことをものすごく気にする繊細な人である。

このブログをたくさんの人に読んでもらうにはインスタグラムに紐づけたい。「別にバレてもいいか!この人とはきっと一生の関係ではないし、必死に関係を守る価値はないのではないか。関係が気まずくなったらその時だ。」ただ、同じ読まれるにしてもアナウンスしといたほうがいいかと思った。「ブログを始めた」と言ったらきっと「見てもいいですか?」と聞いてくるだろう。そうしたら「読んでもいいですけどかなり赤裸々に描くと思うので傷ついても補償しませんよ。」よし、こう言おう。僕の中でいつもの先読みシミュレーションが始まった。

職場で土日は何をしたかという話題になった。その流れで僕は「実は最近ブログを始めたんです。」と告白した。すると相手は「そうなんですね。」ただそれだけ言った。なんか肩透かしだったけどホッともした。と同時に「別に急いでインスタグラムに紐づけなくてもいいか。変に関係を悪くするリスク取らなくても。もうちょっと先になってから考えよう。」という気持ちになった。先延ばしにすることは前の僕にとってはかなり苦痛なものだったがそれをできるようになったことは成長だろうか。白黒ハッキリさせられることばかりじゃない。グレーにしたままでいいこともあるきっと。

ただブログを同僚に見せるかどうか逡巡していた時「この人との関係は守るべきか」と考え、関係が悪くなるイメージばかりをしていて、その人のネガティブな面ばかりが思い浮かんでいた。

一面だけを見てすべてを判断するのは勿体ない気がする。終業直前に挨拶に関しての議論になった。その方は同じ建物にいる違う会社の人に挨拶するかどうかを真剣に悩んでいた。今まではほとんどの人に挨拶をしていたのだが、挨拶するタイミングに迷ったり、挨拶を返さない人もいて、そのことに心が反応してしまうことが嫌だったようだ。僕もとてもその話に共感できた。その人は今後は向こうから挨拶してくれる人にだけ挨拶をすると決めたようだ。「その人は本当はゲジマユさんみたいに全員に挨拶すればわかりやすいしいいんですけどね。僕にはそれはできない。」と言った。僕は「自分が楽になるやり方でいいんですよ。」と言った。

僕は最近その人の言動に前ほど反応しなくなった。その方はこだわりが強く、僕の考えと違うことも多いのだが、心が反応しても「ルールの範囲内なら別に何したって構わないか。」と自分自身を納得させられるようになってきた。

それでも挨拶の議論の時心はドキドキしていた。まだまだだな。どんな時でも自由に自分の意見を言える人間に僕はなるぞ!

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