呪縛

自分を縛るルールが多い気がする。例えば「あれは思っちゃいけない。」とか「これは言ってはいけない」とか。そのルールを守ろうとすればするほどダメだと禁じていることを思いたくなるし、言いたくなる気がする。そして時に禁じていることを思ってしまう自分の人格を疑ったりする。んー、そんな自分を許せばいいのかな。例えば差別したり、見下したりする自分を許してもいいのかな。許すことも覚悟がいるな。

今日も意見を言うときはハキハキ言うことを意識してやってみた。付きまとう不安を振り切るように声を張って言った。ちょっといい気がする。今まではこわごわ自分の意見を言っていたけど明らかに以前よりは意見を言えている。休職前はほんとに声のボリュームを出すことができなかった。ブレインフォグのせいだと思っていたけどきっとそんなことはない。できないことなどきっとないんだ。

あとブレインフォグの症状が出てから伝えたいことはなんとなくあるのにその言葉が浮かばないときに、意地になって頭の中でその言葉探していたがそれをだいぶやめることができてきた。何事も執着しないほうが良いのだ。

今日はこのブログによく出る同僚の人から相談を受けた。特に先入観なく相談を聞くことができたと思う。僕は真摯に悩んでいるその人の話を聞いて「こうしたらいいのではないか」という考えが浮かんだ。でもそれを言うことが怖く、休憩時間の直前だったこともあり言えなかった。休憩時間に入ってからもそのことばかり考えていた。そしてどうしても言いたいと思った。仕事が再開してしばらくたって「さっきの話で思ったこと言っていいですか?」と尋ねた。僕の伝えたいことは簡単に言うと人に対する怒りを自分の中で処理できるところもあるのではないかという意見だった。だがそれを直接言うのが怖かった。言い回しが遠回り遠回りになったがそれでも同僚の方は僕の伝えたいことを理解してくれた。すごく納得してくれたようだった。

僕は意見を言うのも大変だったが、言った後しばらく右手に持っていた作業で使うピンセットが震えていた。そうか、自分の現在地はここなのだな。意見を言った後もまだ「こう言いたい、ああ言いたい」という考えが僕の頭の中にたくさん浮かんできた。僕の中でまだ消化不良だったのか。上手くいったのに。なんとか体に入っている力を抜くよう意識したり作業に集中しようとしたりして、今に集中しようとした。だがなかなか手ごわい。頭の中に浮かんだ自分のいい考えをなんとか頭の中にとどめたい、消したくないという考えも浮かんだ。それでもなんとかそのループから抜け出した。ただ何か物足りない気持ちになった。深堀してスッキリしたかったのだろうが深追いしていいことなどない。物足りないくらいでいいのかもしれない。それよりも頑張って気持ちを伝えたことをもっと評価しようじゃないか。

家に帰ったとき玄関にお客さんが来ていた。だが玄関に家族の姿はなかった。待ってもらっていたのかもしれない。ただ玄関のドアは開け放していて1階の部屋の入口の戸も開いていた。家では猫を3匹飼っている。猫が脱走したら大変だ。僕はすごく怖かった。「これはしっかり伝えなければならない。」そう思った。

自分の部屋に戻って着替えてからリビングに行くと父親が座ってテレビを見ていた。僕は「玄関が開けっ放しで猫が逃げたら怖いと思った。」と伝えた。すると父親は「そうやな、これから気を付けるわ」と言った。言った後しばらく父親が怒っていないか気になってそわそわしていた。それでも1年前の僕から考えたら父親に真正面から意見を言えるようになったなんてすごい進歩だ。僕は子供の頃から父親のことが本当に怖かった。特に怒鳴られた記憶もないが常に父親の顔色を窺って生きてきた。もしかしたら父親の飲食の店員に厳しいさまや、テレビを見ていて怒りをあらわにしているさまを見て父親に委縮してしまったのかもしれない。

それでも自立に向かって僕はこの年になっても成長している。僕には「親に嫌われたら生きていけない」という思い込みがある。こういう思い込みを心理学でドライバーというらしい。でもきっと僕はその呪縛から解き放たれてみせる。

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