防衛本能

昨日古着屋のマスターに話しながら自分自身で納得したことがあるんだけど、僕が感じている頭に霧がかかったような症状って僕の脳が僕を守るために作り出した症状なんじゃないかって。この症状が発現したきっかけは二つ思い当たることがあるんだけど、一つは薬を変えたタイミング、もう一つは母親に「病院に行きなさい」と言われたタイミング。

この症状が出始めた10年ほど前僕は薬をリーマスという頭の活動を抑える作用がある薬に変えた。その薬に変えた途端から頭は働かなくなり毎日12時間以上寝なければ動けないような体になった。数年間は服用した。ただ今はもうその薬は服用していない。

二つ目の思い当たるタイミングに関して、僕は当時通っていた心療内科の医者がどうしても苦手だった。診察に行きたくなかった。なのでよく母親に薬だけもらいに病院に行ってもらっていた。だが母親も直接僕の症状を診てもらったほうがいいと思い僕に診察を受けるように促した。その当時僕は正面から母親に意見することも満足にできなかったためそれを拒否する態度も示せず、だがどうしても病院には行きたくなく、僕の頭はパニックになって「パーン!」と何かはじけた感じがした。それ以来ストレスがかかると僕は床に体を這いつかせたまま上体を起こせなくなるということが度々起こった。言葉も思い出しにくくなったように感じる。

僕の脳はきっと僕を必死で守ってくれようとしていたんだな。言語脳は人間が生存するためには脳の他の部分に比べて重要ではないらしいからその部分を犠牲にしたのかもしれない。うん、なんか腑に落ちている。それでもまた気分が落ちたりすると「脳に異常があるのではないか」とか疑うんだろうけど、まあいいや。

今日は朝から万博記念公園で開催されていたフリーマーケットに行ってきた。人がたくさんいて疲れた。きっといろんな情報を処理しようとしたんだろう。

会場を回り始めはそれぞれの出店者の前で洋服を広げることに結構緊張した。まあいつものこと。出店者と目が合うことも怖かった。視線をどこに置くかなど意識をして、なかなか周りの状況に意識を置けず、自分の仕草がどうなっているかに意識が行く。まだまだですね。

お客さんに陽気に声を掛けている出店者たちが羨ましくなった。「いいな、あんな風に声を掛けられて。」劣等感が刺激される。「僕は彼らより劣っているのではないか。」ただ僕は思いなおした。「いや、そんなこと人間のたくさんある要素の中の一つだ。」そして人は皆進むベクトルが違う。比較などできないはずなんだ。だから比べるべきは『前の自分』。これだけなんだ。

僕がちょくちょく通っている古着屋さんもいくつか出店していた。正直今日は洋服の収穫はなかったので、「せめて店員さんに話しかけて帰ろう」そう腹を決めてドキドキしながら話しかけた。まあまあ全体としては悪くなかったのではないだろうか。

家に帰って昼ご飯を食べて1時間ほど午睡を取って今日もジムに行った。正直僕はジムではかなり追い込んだトレーニングをしていると思う。トレーニング後はもう動きたくなくなるくらいエネルギーを使い果たす。でも体が強くなればきっと心も強くなるはず。そう信じてやっていこう。

今日の僕です。また明日から頑張っていきましょう。

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