ここ数日前に同僚が上司に怒っていた。その内容は些細な事。うちの職場はロッカーが二段になっている。少し重い障害を持った別の同僚が上のロッカーの扉をいつも半開きにするので、斜め下を使っている本人に当たりそうになる。それを上司に指導するように前から頼んでいたが、いくら言っても治らないので我慢しきれず上司に監督不行き届きだと怒りをぶつけた。という話。
当時僕はその同僚が怒りをぶつけるさまを遠くから見ていたのでそれを知っていた。僕はその時「そんなことで相手に感情をぶつけてしまうのか。」と感じた。けれど、今日同僚との世間話の中で同僚はそのことを凄く反省していた。そしてそのあと上司に直接謝罪したとのことだった。
その話を聞いていておかしな話だが、僕はなんだか同僚が羨ましくなった。僕はここ何十年も感情の赴くままに行動したことがない気がする。「こんな場面で怒ったら恥ずかしい。」「人に怒りをぶつけてはいけない。」そんな考えが自分にブレーキをかけている気がする。僕はきっと怒りの感情は人一倍感じるほうなのではないかと考えている。だが、それを表に出さないために人からは穏やかな人に見られることもある。穏やかなんかじゃない。いつもいろんな感情に振り回されて生きているんだ。
作業の面ではやはり同僚は葉を切る際に決められた大きさよりも大きく切っていた。途中で「ごめんなさい、大きく切ったのが結構入っちゃいました。」と言ってきて、僕は「わかりました」と答えた。だけどその後も変わらず大きく切っていたように思う。仕方なく僕は同僚が切った葉も黙って決められた大きさに切りなおした。だがそのさまを同僚が見ていたのでドキドキした。仕方ない。今の実力だ。
それでも自分で成長したと感じる部分もある。以前なら「指摘したのに何でその通りにやらないんだ。」ときっと憤慨していただろう。今は「仕方ない。」といい意味での諦めができるようになった気がする。少し押しつけがましくなくなったのかもしれない。自分がやるべきことをやれたからかもしれない。
最近感じるのだが、一生懸命頑張れば頑張るほど他人に対して押しつけがましくなっている気がする。「こんなに頑張ったのに。」「こんなに気遣ってやってあげたのに。」いつも見返りを求めている。「頑張らない」ことが自分にとっては大事なのかもしれない。

今日の僕。
スリーグッドシングス
1.同僚がやり方を守らなくても怒らなかった。
2.ネガティブなループに入る前にそのことに気づき、脱出した。
3.筋トレ頑張った。
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