疲れが全然取れないので昨日からデジタルデトックスをしている。毎日見ていたtiktokのライブ配信も見るのをやめてみた。あと昨日は仕事早退してからずっと寝ていた。その効果が出たのかわからないけど今日の朝は昨日よりも全体的にスッキリしていた。
僕は精神的な疲れが体の反応にすぐ直結する。初回のブログで言ったが、僕は今でも中学の時陸上部の練習中に感じた鉛のような重だるい感覚がある。そして精神的に疲れるとその感覚が強くなり体全体が重く感じる。昨日、一昨日はかなり重だるかった。今日は少しマシに感じたけど、まだまだ自分には降ろさなきゃならない荷物があるのかもしれない。
このブログを始めてから登場人物が変わり映えしない。職場ではブース内に3人で1日ずっと一緒に作業をするのでどうしても自分の課題はそのブース内の人間関係から出てくる。そしてそのうちの一人のことばかりが頭に浮かんでくる。ここ最近の1日の感情のアップダウンはほぼその人に因るものである。その人とは世間話は割と普通にできているが、基本的にその人とは合わないのかもしれない。まあでもあまり決めつけるのもよくないのかな。狭い人間関係の中にずっといると精神衛生上あまりよろしくない気もする。
今日も感情のアップダウンがあった。その人は仕事が好きがゆえに職務の範囲を超えて行動してしまうことがある。たまにルールを守れない。今日も障碍者雇用で働いている僕らメンバーの上司にあたる管理者という役職の人に今ここでは作っていないものを作りたいとプレゼンしていた。個人的にはそれはメンバーの職務の範囲を超えていると思っている。そのプレゼンの様子を見て僕は「また始まったか。」と辟易していた。そして管理者の反応がいまいちと見るやブースの中でその作りたいもののいいところについて熱く語っていた。僕はその話に反応を示さなかったが「この人は自分の欲求をコントロールすることができないんだな。」とその人に対してネガティブな感情が生まれた。
それがあってから僕のよくない部分が出てしまった。その人と喧嘩になって縁が切れてしまうという極端な想像ばかりが浮かんだ。僕は敵か味方かの二元論でしか考えられなくなってその人を敵とみなし、その人が次はどんなイレギュラーな行動をするのか気になってしまっていた。つまりは偏見だ。まったくフラットな目線で物事を見られていない。これは僕にとって今後もかなり重要な課題になるだろう。
管理者は職場に3人いるが僕はそのうちの一人をとても尊敬している。その方は「私他人に興味ないから。」とよく言っている。僕から見てその人は他人に対して偏った見方をしていない印象がある。職場では人間関係の問題が多く生じるが、何が起きてもその人は人に対して偏見を持たない。人を嫌いにならない。僕もそうなりたい。
今の僕は他人に興味があるようで実は自分にしか興味がないのだと思っている。自分に危害を加えてこないかいつも他人を監視しているのである。それは他人への関心ではない。
それが今の自分の現在地なのだ。さてこれからどうするか。やはりこの狭い人間関係以外の人間関係を深めるのがいいのだろうか。自分の大切にしたい人間関係に意識を持っていけばいいのだろうか。やはり瞑想だろうか。
桑田真澄はピンチの時にマウンド上で「この試練をありがとうございます。」とつぶやいていた。僕もこの試練に感謝できる自分になりたい。
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